仏教と私③

寺に住んで私が感じた事

 

 お寺での生活も2年目を迎えた頃、駅に行く途 中の小さな教会の前を通りながら「2度と教会に行く事はないだろう」と思っていました。そんな ある日曜日、友人が私の家に泊まり同居する妹が その友人に酷い態度を取り、腹を立てた私は、外 出先で「いつも妹に酷い目に合わせられても文句 ひとつ言わない私も悪い。今回は、怒っている事 を伝えよう」と電話をしました。すると妹の口か ら「御免なさい」と言う声が聞こえてきたのです。その瞬間、私は、「自分には言えない『御免 なさい』をあんな酷い妹が言った。私はもしかしたら自分が思っている程、他人が言うほど本当は 良い人間ではないのかもしれない。いや、そんな 筈はない。少なくともあの妹よりはましな人間だ。・・・」と動揺し始めたのです。そして何故 か、「こんな気分が滅入る時は、教会で説教を聞 くのが一番だ」と思い、通学中に通るその小さな 教会に行きました。そしてそこで大きな教会で行 われる特別な集会のちらしをもらい義理で(たっ た1回だけのつもりで)その集会に行きました。

 

 説教を聞いている中で私は、自分が他人によく 思われようとして善行をしている事や心の中では 他人をバカにしながら口では「素晴らしい人ですね」とウソを言っている自分の姿に気付きました。そしてそんな嘘つきで偽善者の自分のために神の御子であるイエスキリストが私の罪の身代わりとして十字架に架かられた事を信じる事が出来ました。しかし、その時、私がクリスチャンになる事でどれほど両親に迷惑を掛けるか全く、気付 きませんでした。 親に洗礼を受けると伝えると 「お寺にお世話になりながら教会に行くなど許さない。ましてや洗礼を受けるなら勘当だ」と言われてしまいました。でも、自分の気持ちに嘘が付けず黙って洗礼を受け何と翌日、人生で初めて40度の高熱を出しその原因が、洗礼を受けるために真冬に真水のプールに入り風邪を引いたとは誰にも言えず、神にも呪われた」と落ち込みま した。そしてきっと祖父母や叔父夫婦から怒られ、ここにもいられないと覚悟をしました。

 ところが誰からも何も言われませんでした。 たった一言、祖父が「キリストの復活を本当に信じられるのか?それは、たいしたもんだ」と 言い、「実は、おじいちゃんはカトリックの幼児洗礼を受けているんだ」と告白したのです。 祖父は、幼い時に母親が尼になり、長姉の所に引き取られその姉がクリスチャンだったので洗 礼を受けたと言う事でした。しかも大学で比較 宗教学を学んでいたらしくキリスト教に精通し ていたのです。その他の親族も私に「教会に行くな」とは言いませんでした。私は、迫害など 受ける事なく寧ろ私が多大な迷惑をお寺の人たちに掛けていました。何故なら私が加わった教会の牧師は、少々、信仰的に過激な人で私に日曜日の午後、駅前で教会案内を配布させ、夕方は、拡声器でお寺に向かって私に話をさせまし た。

 一番、面食らったのは、檀家の方々でした。私が渡すちらしを見ながらみな、息を飲み 「え!」と驚きの顔になり私が何をしているか は、近隣に知れ渡ったと思いますが、お寺の人 たちはみな何も言いませんでした。多分、仏教 の教えから他の宗教に寛大だったのだと思います。私は、お寺にいる間、毎週、日曜日、鍋窯を背負い(昼食を作っていたので)食材を手にもちながらお寺の門を出て教会に通い続けました。その頃の一番の思い出は、お寺の行事でお 守りを売る係りにさせられ「お守りが一枚も売 れませんように・・」と祈った結果、一枚も売れず、お寺には迷惑を掛けましたが心の中で 「こんな変なお祈りでも神様は聴いて下さるのだ」と感謝した事です。

 

 

 

 

仏教と私②

寺に住んで私が感じた事

 

 母の実家である寺に住み、一番、実感したのは、葬式仏教を生業とする寺の姿でした。台所の壁に掛けられている日程表に葬儀や法事の日程が多く書き込まれると寺の会計は潤沢だと安心し自分の小遣いも増えると喜びました。 何故なら昔は葬儀や法事の後には、寺の客殿と呼ばれる大広間で飲食が行われ、私や妹は、準備や後片付けを手伝うため、喪主の方からお礼を頂くのです。又、寺の周辺の方々から「お寺 の孫」だと認知されているので道を歩いていると知らないおばあさんに海苔の佃煮の瓶を渡されたり、高校生の妹がデートをしているとどこ に立ち寄ったかまで寺に連絡が入るのです。 寺がこの地域では、まだまだ大きな影響力を持っているのだと実感しました。 私がその頃、お寺や仏教に関わる事で驚いた事が3つありました。

 1つは、ある日、叔父がある大きな葬儀を終えた後、「喪主から頂いたお布施が100万しかない」と怒っていました。叔父は、某有名大 学の教授の葬儀だったので他の寺の僧侶何人かに頼み盛大な葬儀を執り行ったそうです。その 手伝いの僧侶への謝礼だけで100万では、足りないので叔父は、喪主が非常識だと怒りました。でも、私は、そんな寺の事情を一般の人が知る訳もないのだから怒る方がおかしいと思いましたが、当時は、土地成金(お寺の元小作人 の方々)の檀家ばかりだったので普通の葬儀のお布施も信じられない程、高額だったらしいのです。実際、元僧侶の牧師から「学生時代、小遣いとして毎月100万を親から渡されてい た」と聞きましたので叔父の金銭感覚だけが変だった訳ではないと思います。

 私が驚いた2つ 目は、寺の入り口近くに大きな仏像が建立されを作っていく過程を見ながら通学していましたが、完成すると本山の管主が来られ、その石の像に目を書き入れました。 その瞬間、石屋さんが作ったその像が神になり、拝まれる対象になりました。 私は、何か釈然としない物を感じました。 何故なら本堂の後ろには、一般の人の目には 留まらない仏像がたくさん、あったのです。 夕方になると仏像の前にあるローソクを消し て本堂の戸締りをする仕事を手伝っていた私 は、不謹慎な話ですが仏像を人形の様な気分 で鑑賞し慣れ親しんでいました。これらの仏像は、人の目に触れる事もなくその存在すら忘れ去られ、拝まれる事もない。仏像とは何 なのだ!そんな事を私は、感じていました。

 3つ目は、どうして仏典からのお話が聞けないのだと言う事でした。 確かに朝早くから祖父や叔父、幼いいとこが本堂で読経を挙げていました。でも、それ以外は、葬儀や法事で読経を挙げる以外、特に仏典から誰かにお話しをすると言う姿を見た事がありませんでした。 多分、私は、葬式仏教ではない仏教そのものに関心があったのだと思います。

 そんな幾つかの素朴な疑問を感じながら2年ぐらいが過ぎたある日曜日の午後、突然、 私は、教会に行ってみたくなり、そこでも らった1枚の集会案内が切っ掛けで思いも掛けずクリスチャンになってしまいました。 そしてお寺に住みながら教会に通うと言う自分でも思ってもいなかった(両親も祖父母や叔父夫婦にとっても訳の分らない)生活が スタートしました。(詳細は次回)

 

 

 

仏教と私①

質問:あなたは仏教の事をどう思いますか?

答え:本来の仏教は宗教と言うより素晴らしい哲学の様に感じます。

 

 上記の質問と答えは、実際にあった事で小さな食堂で隣り合わせになった土木作業をされている壮年 と私の間で交わされた内容です。その方は私たち夫婦がキリスト教の牧師だと分かると次々と仏教に関する質問をされ、私なりに返答しました。ただ、後になってよく知りもしない事を語ってしまったと反省し仏教に関する本を改めて読み直しました。その中で発見した事や私にとっての仏教とは何なのかを 書いてみようと思いました。

 実は、他の方と比べると私は、かなり仏教に近い環境に育ったと思います。母方の祖父は、大僧正と言う一番高位の僧侶でした。昔、夫の父が亡くなった時、葬儀をして下さったお坊さんに「大僧正と言う位を『金』か『徳』のどちらで手に入れたのか」 と聞かれ、思わず「お金だと思います」と答えてしまいました。祖父は凄く優しく本当に良い人でしたが、お酒と女性をこよなく愛する俗に言う「生臭坊主」だったので、とても「徳」ですとは答えられませんでした。本当の事を言うと「お金」で手に入れた訳ではなく、戦後荒廃した本山の復興のために尽力したと言う事で与えられたのですが、「金」か 「徳」かと言われれば、やはり「金」の力なのだと思いました。

 祖父のこのキャラクターは、僧侶になるまでの若 い時の経験が関係しているのだと思います。実は祖父は、元々、僧侶だった訳ではなく大学を卒業し結 婚して子供が生まれてから跡継ぎのいない寺に養子 として入りました。何故、こんな事になったかと言 うと祖父の母、つまり私の母の祖母が「尼」になってしまったからです。

 江戸時代、新潟の小藩の家老の妻だった曾祖母は明治になり警察署長になった夫と共に東京に出てきましたが夫が亡くなった後、「尼さん」になってしまったのです。そのため、幼かった祖父たちは、年上の姉たちに引き取られ、そこで育ち普通の生活をしていたようです。

 祖父が養子に入った寺で次女として生まれたのが私の母です。母は、子供がいない叔父の寺を引き継ぐため、婿を取る事が子供の時に決められていた様です。しかし、父と恋愛をして北海道に行ってしまい、そこで生まれたのが私です。

 祖父母は、病弱な娘が心配で毎年、北海道に来て1か月以上を過ごし孫たちの成長を見守ってくれました。それで高校を卒業した私は、母の実家 である寺の離れに住みながら大学に通う事になりました。ところが、高1と中3の二人の妹たちもが私の所に来てしまい、私は、妹たちの世話と寺 の手伝いをしながら大学生活を送ると言う思いも しない事態になりました。更に寺に住みながらク リスチャンになって寺から教会に通うと言う異常事態までも起こしてしまいました。(私がどうしてそんな事になってしまったのかは次回にお話しします。)

 少しこの離れでの生活を紹介します。 その家の窓を開けると一面、お墓で玄関を出れば そこもお墓です。つまり墓に取り囲まれた家なのです。友人を誘うと殆どの人は、「よくこんな所で暮らせるもんだ」と驚かれましたが、慣れてしまえばお墓は、寧ろ、心安らぐオブジェに見えてしまいます。風が吹けば塔婆がガタガタと鳴り響 き、夏の暑い日に窓を開ければ、空中を漂う火の 玉を見る事も出来ると言う実に夏には最高のロ ケーションでした。

 勿論、火の玉を目撃した向いのアパートの女性の 悲鳴と倒れる音を聞きながら妹と「かわいそうに ねー。見ちゃったんだ」と笑いながら何事もなかった様に勉強を続けると言う少々、漫画みたいな日々でした。

 余程、この時の生活が身に染みてしまったのか、 今でも何故かお墓を見ると心が落ち着きますし読経が始まると身体がそれに反応して横揺れを起こすと言う変な後遺症も残ってしまいました。

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