教会って何をしている所? 16      

                          郷津正子

                            

  このシリーズもそろそろ終了にしようかと思い、今回は、多くの方が疑問に感じておられるのでは、ないかと思うテーマを取り上げたいと思います。

 

疑問:団体の違う教会(教派)がどうしてこん なに多いのか?

 

 自慢ではありませんが、私は、幾つもの違う団体や教会に属しました。最初は、小1の時に 札幌のテレビ塔の前にある日本基督教団の教会に集い、その後、引越しをして釧路のカトリックの土曜学校に通い、中学時代は、メノナイトの教会に通いました。高校の時は、ものみの塔 (エホバの証人)に関わり、違和感を感じ当時、三浦綾子さんが属していた日本基督教団の教会に行きました。ところが、そこで聖書をそのまま信じると言った事が切っ掛けで高校生会で迫害を受け、もう教会はこりごりだと思いま した。

 それで大学進学のため上京した後は教会に行きませんでした。ところが、妹との喧嘩を 切っ掛けに聖書の言葉に触れたいと感じ、1回 だけのつもりで近くにあったホーリネス教団の小さな伝道所に行き、そこでチラシをもらい、 お義理で大久保にあるホーリネス発祥の地の教会の集会に行ってそこで信仰を持ち洗礼を受けました。大学卒業後は、ホーリネスの神学校に進む予定が入学試験の日に突然、歩けなくなり神戸の地で暮らす事になり、山の上にあるバプ テストの教会のメンバーになりました。その教会で一生を過ごそうと思っていたら神様は東京に戻る事を示され、東京に出てきた最初の日曜日、学生時代にお世話になった方にご挨拶のつもりでその単立の教会を訪ねたら翌週から教会学校の教師にさせられてしまいました。その教会は、私が神学生の時、突然、同盟教団に加わりました。

 又、もし郷津と結婚していなかったら多分、米国に留学し別の教会のメンバーになた と思います。又、上記の教会だけでなく大学時代、帰省のたび、色んな団体の教会に行き色んな教会の礼拝を経験しました。 団体が違えば礼拝のスタイルや賛美歌、牧師の説教内容・・・・そして雰囲気も全く、違うし同じ団体でも礼拝の内容は、微妙に違います。たくさ んの教派が違う教会に出て感じるのは、自分が今、属している(礼拝に出ている)教会が、一般的(普通)だと感じたら大間違いだと言う事です。米国に行った時、牧師の服装があまりにも違うのに驚きました。カルフォルニアの教会ではアロハが牧師の正装でしたしカナダでも幾つかの教会に行きましたが明らかに東洋人への差別を感じました。実にみんな違うのです。

 どれが聖書的で正しいのかと考えがちですが、 皆、聖書的で正しいのだと思います。勿論、イエス様を救い主として信じない異端と呼ばれている教会は、違いますが、他の教会はそれぞれ、神様に喜ばれる生き方や礼拝を求め続け、それが伝統となり、今に受け継がれています。

 ある意味、色んな団体、色んな教会がある事は、素晴らしい事なのだと私は、感じています。 同じ神を信じ、同じ聖書のみ言葉に従って生きていても礼拝の仕方や賛美歌や礼拝のプログラム、 教会運営の仕方が違う事は、互いに学び、得る事が多いと思います。

 実際、市内牧師会のメンバーは、みな属する団 体が違いますが、毎月1回、集まって互いの違いを超えて励まし合っています。もし、関わらなければ知らなかった多くの事を学び、良い刺激を受けます。

 結論から言えば、多くの団体、教派がある事は 教会の多様性と成長に役立っていると思います。

 

 

 

教会って何をしている所? 15    季節の行事  

                          郷津正子

                            

  教会には季節ごと色々な行事があります。ク リスチャンになったばかりの頃、一番、不思議だったのは「花の日」でした。当時、お寺に住んでいたので仏教の「花に日」の方が身近でキリスト教が仏教行事をぱくったのかと思いましたが、多分、ちゃんとした由来があるのでしょうが、私は、分からないまま、消防署や警察署 など公の仕事をされている所に感謝を表すために教会学校の子供たちと一緒に花を届けに行きました。その時、一番、困ったのは川をはさんで向かい側にある小菅拘置所に行く事でした。 門番の所で保護者の氏名を書こうとすると「あなたじゃない。大人の人はどこですか」と言われ「私は、大学生で20歳を過ぎています」と答えても「証明書を見せろ」と言われ、何も 持っていないのですごすごとそこを立ち去りま した。 話を本題に戻します。

 

春 〇受難節:イースター前の日曜日を除く40日 間をレント(受難節)と呼び、特にイースター前の 1週間を受難週と呼んでキリストが十字架に架 かる前の苦しみの時を覚えてその週を過ごします。外国では肉や卵などの贅沢品を取らないと 言う伝統もありますが、実は、受難週の前に美味しいご馳走を食べる「カーニバル」がありま す。

〇イースター(復活祭):卵が固い殻をやぶってひよことして生まれる事が「キリストが十字架に架かり復活された」と言う事を連想させる と言う意味でイースターエッグが配られます。 イースターは、キリストがユダヤ暦でニサンの月の14日に祝われる過越しの祭りの翌々日に甦られたのでニサンの月の14日後の最初の日曜日に祝うため毎年、違います。

〇ペンテコステ(聖霊降臨日):イースターから50日目にキリストが約束して下さった神の霊(聖霊)が信じる人たちに下り教会が生まれまし た。

母の日:日曜学校の教師であった母から両親を 敬う大切さを教えられた娘が母の記念会(亡くなった事を覚える会)で母の好きだったカーネーションを配った事が由来の教会発祥の行事です。

夏 〇召天者記念礼拝:お盆の時期に亡くなった方を覚える記念の時を持つ教会が多いです。

秋 〇バザー:教会の必要のためだけでなく世界や日本の困窮されている方々の支援などの目的で行う教会も増えました。

〇伝道集会:クリスマス前に特別な講師をお招きしてまだ信仰をもっておられない方々を対象にし た分かり易い聖書のお話やコンサートなどが行わ れます。

冬 〇アドベント(待降節):クリスマスの4週前からクリスマスを待ち望む月間が始まり毎週1本ずつローソクに灯がともされ、クリスマスの日に最後の4本目が灯されます。

〇クリスマス:キリストの誕生日 12/25日に一番、近い日曜日にクリスマス礼拝がもたれ午後から楽しい祝会をします。

イブ礼拝:クリスマスの前日の夜、ローソクなどを 用いて礼拝をし家々や駅などで讃美歌を歌うキャロリングもあります。

〇元旦礼拝:一年の最初の日の朝、神様に礼拝を献げるため、日本の教会では、日曜日ではなくても礼拝が行われます。

 

 

 

教会って何をしている所? 14    諸活動の牧師の日常  

                          郷津正子

                            

  コロナ禍と教会員の高齢化で教会の諸活動 は、大きく変わりました。一番、大きな変化は、教会外の方々と接する機会が殆どなくなったと言う点です。以前なら春、秋には、お花 見、バザー、日帰り旅行、コンサート・・・年 に何回も多くの方と楽しい時を過ごしました。 又、教会員ではない方々を対象に毎月1回、平日に礼拝を持ち礼拝後には楽しく食事をともにし特別版では、ゲストをお招きし運動をしたり手仕事をしたり、様々な体験をしました。 又、毎月、3つの家庭でご近所の方々に来て頂き、セルと言う集まりを持ち、ビデオを見たり、聖書の学びをしたり、お茶や食事を楽しんだりしました。 他にもたくさんの趣味のクラスが開かれ、コロ ナ禍前には、太極拳のクラスもありました。 子供たちの集まりも定期的に持たれ多くの子供たちが集い、学校帰りには、トレイを貸してと立ち寄る子供たちもいました。

 集会外でも教会のチャイムが鳴るとそこに初めての方が立っているという事もよくあり、相 談を受けたり、精神的なカウンセリングをした り聖書やキリスト教に興味を持たれて学ばれる方々もおられました。電話でのご相談や訪問依 頼等もあり、何もない日と言うのは、殆どありませんでした。夜、遅くに来られる方や夜中に電話を頂いたり、急にお訪ねしなければならなくなったり実に24時間勤務の様な生活をしていました。活動エリヤも水戸から北茨城まであ り、時には、いわきまで出かけるので車の走行 距離は、毎年2万キロ以上でした。

 若い時は、伝道所もあり、車中でご飯を食べながら移動する事もしばしばでした。 こんな牧師の日常は、特別な事ではなく、どこの牧師も似たり寄ったりの生活を送っていたので別に大変だと思う事もありませんでした。

 こんな日常が突然、コロナ禍に突入し激変しました。教会外の方が、平日も日曜日も誰も来なく なり、電話すらなくなりました。教会に誰も訪ねて来ないと言う経験は、牧師になって40年を超 えましたが、初めての経験でした。

 もし、当初の予定通り、2022年3月で牧師を辞していたら多分、かつてお会いしていた方々 にお会いする事も出来ないまま、実に寂しい終わ り方になっていたと思います。幸い、神様のご計画で2025年3月まで牧師としての生活が延長され、コロナ禍を通り越した教会の姿を見る事も出来ましたし幾つかの集まりは再開する事が出来て皆様にもお会いできる機会が与えられました。

 でも、残念なのは、コロナ禍の間に教会員の高齢化が進み、以前出来た行事や集会の再開が、現実的には、難しくなった事です。もっと悲しいのは、集って下さっていた方々も高齢となり、簡単 に教会に来る事が、出来なくなりました。

 実にコロナ禍で失った物は多く、この埋め合わせは、もう出来ないのかもしれません。しかも、 私たちの働きは、今年だけなのできっと大した事 は出来ないまま終了になるのでしょうが、少しでも以前の様に教会に来て共に活動をして下さる 方々が多く起こされ、楽しい時を共に過ごせればと願っています。

 本当は、今回のテーマは、四季折々の集会について説明をするつもりでした。 でも、書いている内に何故か前回の焼き直しの様な形になってしまいました。

 

次回こそ、クリスマス、イースター、ペンテコ ステと言う教会の3大行事と他に教会が行っている幾つかの行事について説明したいと思います。

 

 

教会って何をしている所? 13    様々な活動  

                          郷津正子

                            

  教会に来ている子供たちに「牧師っていいな あ。日曜日以外は暇でしょ」と言われた事があります。確かに会社勤めではないので毎日、決 められた仕事をすると言う事はありませんが、 ある意味、牧師は一年中、働いていると言う面 があります。以前、社会保険の提出書類に勤務 日数と勤務時間を書き入れる必要があり、もし 正確に書いたら過剰労働と見なされ、問題になると思い適当に週5日、8時間勤務と言う嘘の書類を提出しました。

 実は、牧師の仕事は、多岐に渡り日曜以外にも色々な事をしています。 それで今回は、礼拝以外に教会では、どんな事 をしているのかをお話ししたいと思います。

 私たちが日立に来た40年前と現在では、活 動内容は、本当に違います。昔は、どこの教会も日曜日には、午前中に礼拝、夜には、夕拝、 午後に伝道会があって開始前には、ハンドマイ クを持って駅や路傍でちらし配布や集会案内をすると言うのも普通でした。勿論、礼拝前には 子供たちのための教会学校や礼拝前後に年齢ごとの集まり(婦人会、壮年会、青年会など)があり、部会と言って奉仕内容ごとに相談の場をもったり、実にクリスチャンになると朝から晩まで教会にいるといった生活が普通でした。 又、日曜以外の日にも各家庭で集まったり、水 曜日や木曜日には、午前、夜と祈祷会がもたれてみなが集いました。 でも今は、夕拝を行っている所は珍しくなりましたし外で働く婦人が増えたのに伴って家庭での集まりや婦人会などもなくなり、教会員の高齢化で日曜日以外の活動が殆どないと言った教会も増えました。

 そんな中、日立福音は、コロナ禍前までは、月1度、家庭 にご近所の方々をお招きしてセルと言う集会が持たれていまし た。又、月1度、普段、教会に来られない方々をお招きして平日に礼拝を行い、終了後には共に食事を して楽しい時間を過ごしました。更に年に数回、特別 版として様々なゲストをお迎えしたり、お花見など楽しい集いが行われていました。礼拝も年に数回、外部から特別なゲストが来られて特別な礼拝がもたれました。 又、大型バスを貸し切り、近隣の観光地へ教会外の方々と一緒に出掛ける事もありました。 色々な教室も開かれ、ゴスペル教室、パーカッション教室、書道教室、日舞教室、太極拳教室・・今、考える と一年中、何かの集まりがあった気がします。 大人だけでなく子供たちも2か月に1度、料理を作ったり、ゲームをしたり、たくさんの子供たちが集う ジョイ・ジョイと言う集会もありました。 特にクリスマスシーズンは、婦人のコンサートや子供大会、イブの集会、家々や駅前で讃美歌を歌うキャロリング、祝会と実に盛りだくさんでした。

 でもコロナ禍ですっかり教会の活動は、縮小、休止、 停止状態になりました。平日の活動で今なお、続いているのは、水曜日の午前中と夜の祈祷会・日曜日 の教会学校・婦人会や壮年会の活動ぐらいになりま した。ただ、今年は、少しコロナも落ち着いてきたので以前の様に祝会が久しぶりに行われましたが、他 の集いを再開するのは、教会員の高齢化もあり、難しい面があります。 郷津は残り1年の奉仕期間なので新たな教会活動を 開始する事は出来ないと思いますが、若い林先生を中心に今後、今の時代にあった教会活動が新たに展 開されていくと思います。 何か昔の思い出を取り留めなく綴る形になってしまいましたが、教会は、生きているので時代と共にこ れからも変化し続けていきます。

 次回は、四季折々の集会についてと牧師が普段している仕事内容などもお話ししたいと思います。

 

 

教会って何をしている所? 12    洗礼式  

                          郷津正子

                            

  洗礼式を簡単に言うと「神から離れて生きてきた自分は死んで神を中心に生きる新しいいの ちに甦った(復活した)」ことを象徴的に表現するものです。多くの場合、水槽にはられた水の中に沈み水から上がると言う形(浸洗)を取 ります。

 以前、読んだ本では、初期のキリスト 教の時代は、古い自分は死んで新しく生まれた と言う事を表現する意味で裸で受けたと書かれていました。でも、この形はほんの初期だけの事でもし、今もそんな事をしていたら大変な事 になります。ちなみに日立福音では、白い(教会によっては黒い場合もあります。)洗礼着を着て水の中に入ります。洗礼着にはSMLとサイズがあるので背丈に合わせて着て頂きます。ただ、問題は、水温です。洗礼式は、クリスマスやイースターに行われる事が多いのではっきり言って水風呂に入る様なもので冷たいのです。

 私 は、1月に受けたのですが、受ける前、牧師から「2千年の教会の歴史の中で洗礼式で風邪を引いた人間は、未だかつていない」と言われ、 それを信じて受けたらその晩、生まれて初めて40度の高熱を出し寝込みました。歴史上、最 初の洗礼による風邪を引いた人間なのかと思い、神に見捨てられたと落ち込み、教会に行くのをやめようと思ったぐらいです。後であんな水風呂に入ったら誰だって風邪を引いて当り前だ」と気付き信仰を捨てるのを辞めました。私は、 自分の悲惨な経験から洗礼式では、水槽の温度を快適にするために全精力を傾けます。一晩中 温熱機で水を温め、式直前にお湯をホースで流 し込み良い湯加減にしています。(こんなに温かい洗礼槽の水は、多分、日立福音ぐらいだと 思います。)私としては、洗礼槽の水は冷たくなければならないと言う決まりはないので風邪を引かせるぐらいなら「良い湯加減でした」と言ってもらった方が良いと思っています。  実は、洗礼式は、この全身が水につかる浸礼だけではありません。病人や高齢者など浸礼が難しい場合は、滴礼と言って頭に水をたらす形で行いま すが、以前、ある牧師から「90歳を超えた婦人が『自分は正当な方法で洗礼を受けたいので浸礼でして欲しい』と言われ、しかたなく川でやったと聞きました。 私なら絶対、そんな危険を冒したりしません。 はっきり言って洗礼のやり方なんか根本的な問題ではないからです。洗礼は、「自分がキリストを救い主として信じてこれからも神様を主として生 きていく」と言う事を公に表明しているだけなので浸礼が正式で略式が滴礼と言う訳ではないからです。

 最後に聖書には、信じたら即、その場で洗礼が行われた事が書かれていますが、その後は、かなり長い時間をかけて聖書や信仰の事を学んでから洗礼が授けられるようになりました。多分、生命を奪われかねない迫害下で信じていくと言う決断をするのでしっかりと自分が何を信じているのかを知る必要があったからでは、ないかと思います。 日立福音でも洗礼を受けたいと申し出られたら数か月、学びと準備の期間を経て信仰の確信を得て いる事を牧師や役員会が確認して洗礼式になります。これが通常の形なのですが、実は、私は、何の学びも指導も一切なく、信じて3ヶ月未満で牧師から「イエスのために死ねるなら受けなさい」 と言われて、その時は、「死ねそうだ」と思ったので受けてしまいました。 でも、「聖書の事も神様の事も何も判らない自分は半人前だ。これでクリスチャンって言えるのか」と長い期間、苦しみました。やはり、洗礼を受ける前に自分が何を信じているのか、信じると言うのは、どういう生き方をするものなのか・・ 基本的な事はちゃんと学んでから受けた方が良いと思います。

 

 

教会って何をしている所? 11    聖餐式  

                          郷津正子

                            

  教会にとって一番、重要な事は「礼拝」なので 礼拝のプログラムを構成する要素について説明してきましたが、今回からは、「礼拝」以外で教会 ではどんな事をしているのかをお話したいと思 います。キリスト教が生まれた時からずっと大切 に守られてきた礼典には、「聖餐式」と「洗礼式」 があります。この2つともキリストご自身が設けて下さったものです。 今回は、「聖餐式」についてお話します。以前にも書きましたが私は「聖餐式」 に関して大きなミスを3つ犯しました。わざとやった訳ではないのでミスと呼ぶべきなのかはわかりませんが、人から「一生、忘れない事件だ」と言 われてしまいました。

1つ目は、「葡萄液の代わりにファンタを使用した 事件」です。 牧師から突然、礼拝直前に「パンは 用意したが葡萄液の購入を忘れたので買って来て聖餐式の準備をして下さい」と言われました。 今から45年近く前、コンビニもない時代にしかも 朝の9時に100%の葡萄液など売っている店などある筈がありません。でも、パンだけで葡萄液が なければ、聖餐式になりません。私は、赤羽の町 を猛スピードで駆け回りましたが見つけられたのは自販機のファンタだけでした。それを聖餐用のコップに注ぎ、階段を駆け上り聖餐台に乗せると 同時に祈祷していた牧師が目を開け、聖餐式が始まりました。私としては、「間にあった」と安堵し たのですが、終了後、聖餐式に出た方々から「ファンタで聖餐をした事は、一生、忘れない」と言われてしまったのです。

2つ目は、「勝手にやってしまった聖餐式事件」です。神学生時代、30人以上の若い方々を指導していた時、その中のある方々から「洗礼を受けていない人たちが集まって自分たちで聖餐式をしてしまった」と報告を受けました。それで彼らに 何でそんな事をしたのかと聞くと「洗礼を受けていないと言う理由だけで聖餐式に加わえられな いのは、差別だ。それに聖餐式では、ちまちまと小さなパンと少ない葡萄液でやっているから自 分たちは、大きなパンとコップに並々と注いだ葡萄酒でやった」と言われました。それで私は、彼らに「それは、聖餐式とは言えない。単なるパンと 葡萄酒を飲んだだけだから牧師には言わないでおく」と伝え、彼らに改めて聖餐式の意味を伝えました。

3つ目は、「聖餐パンによる血だらけ事件と顔 真っ赤事件」です。 聖餐用のパンを作る奉仕をして下さっている方がある時、フランスパンの様な固いパンを焼かれました。すると聖餐式中、そのパンで口の中を 切る方が続出し終了後、「葡萄液ではなくパンによってキリストの血を実感する事になった」と言 われてしまいました。又、ある時、用意した葡萄液 が、あまりにも白いのでこれではキリストの血を連想出来ないと思って調理用のワインを色付けに入れてしまいました。すると聖餐式終了後、会堂から出てくる人の顔がみな、真っ赤になってしまったのです。何故、こんなある意味バカげた話 を書いたかと言うとこの3つの事件は、聖餐式の本質を語るのにとても良い例だと思ったのです。

①何故、聖餐式では、パンや葡萄液が用いられるのか。聖餐式は、キリストが弟子たちと最後の晩餐を取られた時に語られた言葉から生まれました。(Ⅰコリント11章23~26節) 簡単に言ってしまうとキリストが十字架で死なれた事を覚えるために行うのが聖餐式です。

 

罪のないキリストが私たちの罪を負い、私たちの 身代わりとして十字架に架かられて死なれたゆ えに私たちの罪が赦され、私たちは神のもとに立 ち返ることができました。その事を決して忘れな い様に十字架で裂かれたキリストのからだを象徴 するパンと流された血を象徴する葡萄液を共に 頂くのです。聖餐式を通してキリストの愛と罪か ら救われた喜びをかみしめています。 ただ、キリストが最期の晩さんの時に使用された のは、葡萄酒なので今でも葡萄酒を用いる教会 もあります。又、日立福音の様に元アルコール中 毒だった方やアルコールが身体に合わない方々 への配慮から葡萄液を用いる教会も多いです。

②何故、洗礼を受けた人だけが聖餐式を受けられるのか。 聖餐式は、キリストを自分の罪からの救 い主として信じた者がキリストの死の意味を思い起こすために行われるものなので単にパンと葡萄液を飲むための式ではないからです。 昔、カトリックの大学に行っていた姪が大学のチャペルで行われていたミサ(聖餐式)に出席し知らないで聖餐を受けてしまい、後で司式をしていた教授から呼び出しを受け、こっぴどく叱られてしまいました。姪は、私に「駄目なら最初から言え、誰でもどうぞと呼びかけながら食べて良い人と食べてはいけ ない人に区別するとは、何事だ」と怒りまくりました確かに何も知らない人にとって聖餐式ほど差別的な式はないと思います。でも、聖餐式は単にパンを食 べ、葡萄液を飲んでいる訳ではなく、毎回、「自分は、 救い主としてキリストを信じています」と信仰告白をしているのです。 その告白を洗礼と言う形でまだ公にしていない人 たちには、早く自分たちと一緒に聖餐のパンと葡萄液を食する事が出来るようにと願いながら聖餐式 は、行われています。 *余談ですが、初期のキリスト教の時代、何も知ら ない人たちが、聖餐式を誤解し「クリスチャンは、人 の血を飲み人肉を食べる野蛮な人たちだ」と恐れられていました。

             次回は、洗礼式についてお話します。

 

 

 

 

 

教会って何をしている所? 10  礼拝のプログラム4 献金  

                          郷津正子

                            

  教会がどんな所なのかを「礼拝」のプログラムか ら「お祈り」「讃美」「聖書」について説明してきましたが、今回は、「献金」についてです。 今、統一教会の解散が政府指導でなされそうですが、元々の発端は、「献金」問題なので出来れば、避けたい話題ですが、「何故、礼拝のプログラムの中に献金が入っているのかを説明しないで 礼拝を語る事は出来ないなあ」と思ったのであ えて書く事にしました。

 私が母の実家である寺に5年、住んでいた事は 前にも書きましたが、クリスチャンになる前、お寺で言うお布施と教会で言う献金は同じなのだと思っていました。両方とも志のある方がお金と言う形でお寺や教会に対して「してもらった事への お礼」をするものだと言う理解です。ただ、その 金額は圧倒的にお寺の方が高額だと思っていました。叔父が予想していたより少ないお布施をもらって怒っていた時、お布施とは言っても実態は 仕事への対価なのだと知り、だから当然、相場があるのだと理解しました。

 でも、教会は、礼拝での 説教をされた牧師に対価として献金をしている訳ではない様だし、相場もないのではないかと感 じてはいました。何故ならお坊さんの方が豊かで牧師は貧乏そうだと思ったからです。 お坊さんも牧師も皆様からの献金(お布施)でその生活が支えられている事は、確かですが、教 会の献金は、お布施とは、意味が全く違います。

 牧師は、献金をささげてもらうために説教をしている訳ではなく自分も信徒の皆様と同じく献金をします。相場もありません。極端な事を言えば、 1円の献金も何百万の献金も「献金」と言う意味 では同じ扱いです。多く捧げたら神様は喜んでくれて少ないと不機嫌になると言う事は、全くありません。

 いくら献金するかは、どこまでも個人の自由です。お寺では、寄進すると金額と氏名 が本堂に張り出されますが、教会がもしそんな事をしたらキリスト教界から追い出されます。何故なら教会に捧げている訳ではなく神様に捧げているのでささげた金額の大小で優位性を覚える人がいたらそれこそ神様に叱られます。叱られるだけでなく「愚か者」と神様を怒らせてしまいます。

 献金は、人を意識する事ではなく、神様と自分だけの関係です。 聖書は、私たち人間は神によって造られたもの で命も財産もすべて本来は神様のものだと教えています。だから人間は、元々、神様の物を一時 的に託されているに過ぎないので感謝してその 一部を神様にお返しするだけです。それが元々の献金の意味です。

 献金は教会への入場料、説教 を聞くための受講料、牧師に相談をするための相談料、様々な活動に参加するための会費などでは、決してありません。献金は、あくまでも自主的、自発的なものなので意味が分からないのに献金をする必要性もありません。日立福音の場合 は、礼拝中に献金が行われますが、礼拝前に礼拝堂の入り口にある献金箱に捧げる教会もあります。日立福音も入口に献金箱が設置されていますが、設置型にしたのは、ある女性の伝道師 から「何度も献金箱を背中にしょっている泥棒さんと鉢合わせをした。だからしょっていけないようにしなさい」とアドバイスを受けたからです。

 何故かその時、彼女が「献金泥棒」さんと鉢合わせ をした後、どう行動したのかを聞き忘れてしまいその後の対策を聞きそびれました。

 

 

教会って何をしている所? 9  礼拝のプログラム3 聖書  

                     

                            郷津正子  

 

 カトリックの教会では、礼拝の中心はミサ(聖餐) にあります。昔、神学校時代の同室の方は元カト リック信者で彼女曰く、「カトリックでは、一般信徒 は自分で聖書を読む事は、ない。ミサで神父さんから聖書の話を聞くだけだったのでプロテスタントに代わった時、教会の誰もがみな聖書を自分で読んでいるので驚いた」と言っていました。 カトリックから分れたプロテスタントの特徴は、聖 書の解き明かしを礼拝の中心に置いている事だ と思います。勿論、属している団体の違いで礼拝 のプログラムは違いますが、少なくともプロテスタントに属する教会の殆どは、聖書のみ言葉を最重要にしています。だから礼拝の中では、必ず聖書が 読まれます。

 最初に招詞(礼拝へと人々を招くための言葉) やその日の説教のテキストになる箇所を読む聖書 朗読、司会者と会衆が交互に読む交読文などが あり、旧約聖書の時代から今に至るまで神に従う民はみな「聞きなさい」と言われる神の語り掛け に耳を傾けてきました。聖書の言葉は、朗読されるだけでなく、説教を通 して意味が解き明かされます。通常、牧師が担当 しますが、牧師の仕事の中心は、礼拝で聖書のみ 言葉を説教する事だと言っても過言ではありません。そのため、牧師になる人たちが学ぶ、神学校では聖書のみ言葉を神からのメッセージとして会衆(礼拝に出席されている人たち)に正しく伝えるための学びと訓練がなされます。ただ、これ だけ重要な説教であっても説教=礼拝ではあり ません。前回、お話しした「讃美」も「祈祷」も「献 金」もみな、礼拝を形作る要素で礼拝のすべての プログラムを通して礼拝が神に献げられるのです。

 次に聖書が私たちにとってどんな意味を持つのかを考えてみたいと思います。 聖書を通して神様は、私たち人間がどの様に生きるのが神様の御心に叶う事なのかを教えてくれ ます。つまり、分かり易く言うなら聖書は、人生の 「正しい物差し・羅針盤」を与えてくれるのです。 だから、毎週、毎週、神様からの言葉を聞き、それ に従って生きていくために礼拝に出て神の言葉を聞くのです。

 もし、礼拝の中で「聖書の言葉」が何も聞かれなかったらそれは、もはや礼拝と言えません。そんな事が実際、あるのかと思われるかもしれませんが、 私は、聖書の話が何も聞かれない礼拝に出た事が あります。最初から最後まで聖書の言葉は、一切、 語られず、牧師の考えや思いだけが語られました。 礼拝が終わった時、讃美も祈祷もみことばの朗読 もちゃんとあったのにこんなの「礼拝」ではないと空しい気持ちで家に帰りました。 礼拝は、牧師による講演会では、ないのです。 説教を語る牧師は、決して自分の考えや思いを伝えている訳ではなく、神様が人々に伝えて欲しいと願われているメッセージを神様の代理として伝えています。だから、それを聞いた人が、ただ、聞くだけではなく、実際に聞き従う(=行う)人になって欲しいと言うのが神様の真の願いです。

 最後にご自分の持っている聖書と礼拝で読まれている聖書の言葉が微妙に違う事があるかもしれません。元々、聖書は旧約はへブル語、新約は、ギリシャ語で書かれていてそれを日本語に訳する段階で微妙に違う表現になります。又、訳の見直しが行 われるので発行された年の違いでも微妙に違いが出ます。でも、表現は変わりますが内容が変わって しまう訳ではありません。

 

 

 

教会って何をしている所? 8  礼拝のプログラム2 祈祷  

                     

                            郷津正子  

 

 教会に初めて来た人が一番、驚くのは、「祈祷」で はないかと思います。そして教会に慣れてきても 「あんな風に祈る事は絶対、出来ない」と思う人 が多いと思います。私自身、未だに人前で祈るの は苦手ですしなぜ、祈りを人に聞かせなければな らないのかと内心、思ってしまいます。

 前にも書きましたが、私がクリスチャンになった最初 の教会の牧師は、強烈な人でした。先生が説教を されている間、合いの手の様に「アーメン」と言う だけでなく、先生の祈祷中もアーメンと合いの手 を入れないと「俺の祈りにアーメンが言えないの か」と礼拝中に怒鳴られてしまいます。そのため、 私は、この教会を離れた後も、お祈りのたびにど こでアーメンを入れたら良いのかと迷い、落ち着いて祈れないと言う後遺症が残りました。

 又、神学生の時、ある青年が礼拝での司会に抜擢され彼から「どう祈ったら良いのか分からない ので模範文章を作ってくれ」と頼まれました。あくまでも1つの例として彼に渡したら何と彼は、司会 の度にその用紙を出して読み始めたのです。それで彼に「みんな目をつぶっているから紙を読んで いるとは気づかれないけど毎回、同じ文章だと変 に思われるから自分の言葉も加えて欲しい」と頼 みました。すると彼は、毎回、同じ祈りでも先月、 祈った祈りなんか誰も覚えていないから大丈夫だ」と言いました。 正直な所、この人、大丈夫か なと思いましたが今、彼は牧師をしています。 牧師になる人だって最初はこんなレベルなのです。

 

では、本題に入ります。

礼拝の中の祈りを分類すると

①礼拝前の祈り

②開会の祈り

③牧師の祈り

④主 の祈り

⑤説教前の祈り

⑥説教後の祈り

⑦献金の 祈り

⑧祝祷などがあります。

 

詳細を言うと

○礼拝前の祈り:礼拝前に心を整え、礼拝が神様に祝 されるように何人かの人が祈ります。

○開会の祈り:司会者が礼拝の上に祝福があるよう に又、説教者のために祈ります。

○牧会の祈り:日立福音の場合は、緊急に祈る必要 や事が起きた時に祈ります。

○主の祈り:イエス様が弟子に「どう祈ったら良いのですか」と聞かれた時にお手本を示して下さった 祈りの言葉です。

○説教前の祈り:代表者が説教を通して神のみこころを悟る事が出来るように祈ります。

○説教後の祈り:牧師が説教後に祈る事が多いですが、出席者が説教を通して教えられた事や感謝 を祈る場合もあります。

○献金の祈り:献金奉仕者が神様への感謝を祈りの形で伝え、ささげられた献金を神様にふさわしく 用いて頂けるように祈ります。

○祝祷:礼拝後、それぞれの場所に戻っていく信徒 や礼拝出席者の皆様に神様からの祝福を祈って 送り出す祈りです。説教者によってその言葉は違 います。

 

*神様が「イエスの名によって祈った事を聞いて下さる」と聖書に書かれているので祈りの最期は、必 ず「主イエスのお名前によって」と言う言葉と「アーメン」と言います。

 *アーメンとは、へブル語で「本当に」と言う意味で礼拝に出席している人たちが「私もそう願います。 そのとおりになりますように」と言う意味を込めて 祈った人に合わせて一緒にアーメンと唱和します。

 

 

 

教会って何をしている所? 7  礼拝のプログラム1 讃美  

                     

                            郷津正子  

 

 今回からは礼拝のプログラムについてのお話しです。今までにたくさんの教会の礼拝に出た事がありますが、まったく同じプログラムだったと言う事は一度もありません。同じ団体に属する教 会でも少しずつ違います。ただ、どこの教会に行っても「讃美」「祈祷」「聖書」は、必ず含まれています。それで今回は、「讃美」についてお話したいと思います。 もしクリスチャンにならなかったら私は、決して人前で大きな声を出して歌う事は、なかったと思います。何故なら音痴一家に生まれたのに声が良いからと無理やり合唱コンクールに出させられ、 音を外して優秀校を最下位に落としてしまったと言うトラウマがあるからです。更に毎晩、眠りに着こうとすると音が外れた声で西城秀樹の超ネア カの歌を歌うすぐ下の妹の声と中島みゆきの超ネクラな歌を歌う一番下の妹の声が、ミックスされると言う悪夢のような体験を毎晩していたからです。音痴が歌えば人に害を与えるとずっと思っていました。

 ところが、クリスチャンになったら歌わないでいられなくなりました。何故なら私が信仰を持った教会の牧師は、小さな声で讃美をしたら「声が小さ い」と礼拝中でも怒鳴られるのです。しかも洗礼を受けていないのに教会学校の教師にさせられ、 「歌」を歌わない訳にはいかなくなりました。 でも、父の独特な教育方針(うちの子に音楽的才 能はないので楽器を習うより演奏会に好きなだけ行けるお金を稼げる人間にする)のために楽器を習わせてもらえなかったので未だに奏楽は出来ませんし家で讃美歌を歌う事もありません。でも教会の礼拝では、大きな声で讃美していま す。何故なら、心から神様を褒めたたえたいと思う様になったからです。

 讃美歌とは、簡単に言えば神様をほめたたえる歌です。通常、礼拝の中では、最初の讃美、説教前後の讃美、頌栄と呼ばれる「三位一体の神を讃える短い 讃美歌」など礼拝中、何曲か讃美があります。 これらの讃美歌は、教会が始まって2千年近く、信仰者たちが折々に神様の偉大さ、人間の罪深さやそこから救い出して下さる神の愛の大きさ、神に仕えたいと言う思い・・・色んな思いを讃美歌の歌詞の中に込めて神様を褒めたたえてきました。そしてそれらの歌の中からその日の聖書箇所にふさわしい歌を選び、礼拝の中で歌っています。 教会によって用いる歌集は、違いますが、讃美歌、聖歌、讃美歌21、新聖歌、教会福音讃美歌などがあり、 30年位前からは、ワーシップと呼ばれる今風のメロディーにのせて自分の神様への気持ちを歌う新しい形の讃美もあります。日立福音の場合は、第1礼拝では、昔から歌い継がれてきた歌集を用い、第2礼拝では、バ ンド形式による今風の讃美歌が歌われています。

 最近、讃美歌を巡ってびっくりした事があります。 神学校時代に16世紀頃のドイツの讃美歌を日本語に訳した「イエスよ宿りませ」と言う曲をよく、歌いましたが、私は、「私の心にイエス様、宿って下さい」と 歌っているのだと今まで思っていたのです。ところ が、この曲は、「イエス様、宿にお泊り下さい」と言う意味だったのです。これは、イエス様の復活が信じられない二人の弟子がエマオと言う町に行く途中、ある人物に出会い、その人が先に行きそうになったので「一緒に宿に泊まってもらえませんか」と頼み、その人が食事の時、パンを割いた瞬間、復活したイエス様だと気付いたと言う聖書箇所がもとになっている讃美歌だったのです。讃美歌も「歌」には違いはありませんが、そこで歌われている内容が分からなければ、本当の意味で神様を褒めたたえている事にはならないなあと改めて気付かされました。

 

 

 

教会って何をしている所? 6   教会は礼拝する所です②  郷津正子

     

 

 私達が日曜日ごとにどんなお方に礼拝を捧げ ているのかを詳しく説明したいと思います。 まず、話は私達が婚約式をした日の事に遡ります。 その日、両家の顔合わせがあり、その席上、どち らの親からも「何故、我が家からクリスチャンになる者が生まれ、それも牧師になるなんってどう言う事なんだ!」と言う発言が飛び出しました。 「まるで私たち二人が犯罪者みたいじゃないか。 第一、私たち二人とも子供の時から教会学校に 行っていたのだから突然、突拍子もない行動に 出たと言う訳では、ないのに・・・」と思いました。 多分、親にとっては、教会に出入りする事と信仰 を持つ事とは別次元の事として理解していたのだと思います。 実は、私も同じ思いでした。子供の時から教会学 校に行っていたので「この世界を造られ、人間を含むすべての物を創造された神様がおられる事」は、漠然とでは、あっても信じていましたしク リスチャンに憧れを感じていたのも事実です。で も、高校を卒業し北海道から東京にある母の実家であるお寺の離れに住んだ時、「もう二度と教 会に行く事はないだろう。教会も卒業した」と思っていました。 それがたまたま1枚のちらしをもらい外交辞令 で「行きたいです」とウソを言ったばかりに新大 久保にある大きな教会の特別伝道集会に行く羽目になり、その晩、私は、自らの真の姿を突きつけられました。20歳になるまで「自分は他の人よりはましな、人間だ」と思っていて心の中で馬鹿 にしている人の事でも人前では、「良い方です ね」と平気で嘘をつき、人に良く思われようとし て善行に励んでいました。それが、その晩、人間 の視点ではなく、神の目から見れば、私は、自分勝手で自己中心な人間だと気付きそんな私みたいな人間を聖書では罪人と呼ぶのだと知りました。そしてその晩、自らの罪を悔い改め、キリスト を救い主として信じる事が出来ました。ただ、その時点では、聖書を読んだ事もなく、神様の事も詳しく は、知りませんでした。その後少しずつ毎週、日曜日に自分が礼拝をささげているお方がどんな方なのかがわかるようになり、洗礼を受けました。 私が、礼拝を捧げているお方の事を纏めると以下 の様になります。 ①私たちが生きるこの世界にあるすべての物(天 地万物)を造られたお方です。 何かを作る場合、作った人には、作る目的がありま す。それと同じ様に私たちを造られた神様は、ちゃん と目的をもって私たちを造られ、この世界に存在させてくれました。だから自分がこの世に存在する意味や意義は、このお方を通して知る事が出来ます。 ②このお方は、愛だけの方ではありません。罪は罪としてとことん裁かれるお方です。本来なら罪 ある人間が簡単に近づけるお方ではありません が、そんなお方が私たちを救うために大きな犠牲を払って下さったのです。 ③聖書の神様は、その愛ゆえに神に背き自分勝 手に生きる人間を救うためにご自分の御子イエ スキリストをこの世界に遣わされました。キリスト は、私たちの罪の身代わりとなって十字架に架か り死んで3日目によみがえられ今も生きておられます。この様なお方だからこそ、私たちは、毎週、 神様に感謝をささげ、喜んでこのお方に従って行 きたいと願うのです。そしてこの様なお方に本来の価値を帰すために礼拝のプログラムは、形作られています。次回は、このプログラムに関して 説明したいと思います。

 

 

 

教会って何をしている所? 5   教会は礼拝する所です①  郷津正子

 

 

 昔、教会の子供たちに「牧師って日曜以外は、何をしているのか?牧師は、暇でいいなあ」と言われました。きっと大人の方でも日曜以外の普段の日、牧師は何をしているのだと素朴な疑問を抱いている人もおられると思います。 通常、牧師が一番、時間を掛け、心血を注いでいるのは、礼拝で語る聖書からのお話(説教)の準備です。勿論、礼拝以外の集会の準備や訪問・病人の見舞い・カウンセリング・学びの指導・教会の事務・雑事、教会間の用事・・・たくさん、あって殆どのんびりしている暇はありません。しかも決まった勤務時間は、なく、夜中でも連絡が来れば出掛け ます。

 でも、最初に言いました様に牧師にとって一番、大切な働きは、礼拝に関わる事です。そもそも キリスト教会と名乗りながら礼拝をしていなかったら「教会」とは、言えません。教会にとっての生命線は「礼拝」です。では、一体、礼拝とは、何なのでしょうか? 簡単に言うと礼拝とは「神様を神様とする」と言う事です。礼拝を英語では「ワーシップ」と言いますがこの語は「価値あること」と言った意味から 来ている言葉で「最高に価値ある方である神様にふさわしい価値を帰していく」と言う意味です。

 聖書は、人間は生まれながらにして罪人でその ままでは、神を神として認める事は、出来ないと言っています。人間は、真の神様以外の物(お金・ 名誉・快楽・人間が刻んだ神の姿をした物・・・)を礼拝(それに価値を帰してしまう)してしまいます。 だから、本当の神様がどの様なお方なのかをちゃんと教えてもらわないと礼拝をする意味も理解出来ません。その事は、大切な事なので次回、 詳しくお話したいと思いますが、その前に初めて教会の礼拝に来た人がどんな風に感じるのかを少々誇張して書いてみます。 入口で何だか分からない紙(週報)と分厚い本(聖書)を渡され席に着くとみんなが、誰かの名前を呼ぶ時に〇兄、〇姉と呼び合っていて弟や妹はいないのかと疑問に感じるが、シーンとしているのでむやみに声は掛けられない。 荘厳そうな音楽が始まったら司会者らしい人が登場し突然、みんな目をつぶり、その司会者が、普段使わない様な言葉で話し始める(祈り)のをじっと聞い ている。

 昔の言葉で意味がよく分からない歌(讃美歌)をみんな声を合わせて歌い、どこを開けばいいのかさっぱりわからない聖書の箇所が読まれる。そして牧師らしい人が出てきてよくわからない話を延々と する。最後の方になると「意味のわからない方は、しなくてもいい」とは言っているのにお金を入れるカゴ(献金)がまわってくる。最悪なのは、ケチぽく小さなパンの切れ端と小さな容器に入った紫色の液体 (聖餐式のパンと葡萄液)を偉そうな人が配っている時に遭遇した時だ。自分だけ「のけ者」状態にされる。これは、クリスチャンだけの秘密の儀式なのか・・・ 終わりには全員、立たされて牧師の訳のわからない言葉を言われて礼拝はおしまいになる。 これは、私が最初に礼拝に出た時、感じたものをベースにして書いていますが、自分でも書きながら 客観的に見たら酷い仕打ちを初めての人にしているなあと感じます。

 礼拝のプログラムの意味を知らなければ、恐ろしく閉鎖的な事を教会は、している様に感じられてもしかたがないなあと思います。だからこのシリーズで礼拝の事を少しだけ分かるようになって頂き、教会が何をしている所なのかを知ってもらいたいと願っています。

 

 

教会って何をしている所? 4 私の教会歴  郷津正子

 

 東京に戻って集った教会は、赤羽駅の直前にある開かずの踏切のそばにありました。 そのため、 電車から見てこの教会に来られる方や地方の教会から紹介された学生さんや実に色んな人が毎週、やってくる実に多種多彩な人々が集う教会で した。

 大学教授、医師、朝ドラに出演(主人公の妹役)の 女優、有名漫才師の息子、今では大臣まで上り詰めた女優のマネージャー・大勢の音大生・有名牧師の息子・荒れた学校で傷付いた教師たち・・・どうしてこんなに色んな人が吸い寄せられるようにこの教会に集まって来るのか分かりませんでした。

 ある 日、教会役員が新来者に間違われたとこぼすほど集っている人間同士がお互いを把握できないほど混沌とした教会でした。しかも建売の小さな民家を会堂として使用していたので夏場は、人数オ オバーから酸欠になり、冬場は着膨れした人たちでいつ床が抜けるかと心配になるほど常に大勢 の人がやってくる教会でした。

 私は、それまでの関西では、お金持ちが住むと言われる場所に立つ 教会から下町の雑多な人々が集う教会へと導かれ、根性焼きが腕にある中高生(俗に言う番長)や 次々とやってくる青年たち(教会の3分の2が若者 でした)のリーダーとして 又、夜の集会前に教会を脅しに来るホームレスの方々の対応など今まで の自分の経験では全く通用しない諸問題に直面させられました。

 多分、あの時の経験があるのでその後の教会生活で何が起こっても動じる事がなく なった気がします。その教会で4年を過ごし結婚して私は、日立にやってきました。 私が4回に渡って自分の教会との関わりを書いてきたのは、現実の教会は実に様々だと言う事 を知って頂きたかったからです。明るい教会もあれば、陰気な教会もあり、自由な教会もあれば、 ルールに縛られた教会もあります。楽しい教会も あれば、辛くなるだけの教会があるのも事実です。

 人間がみな違うようにその教会の構成メンバーの違いによって教会には様々な顔があります。だから自分に合う教会もあれば、合わないけど使命を感じて留まる人もいれば、別の教会へと移って良かったと言う場合もあります。 教会は人の集合体です。人が多く集まれば、必ず問題は起こります。逆に問題がなければそれでいいのかと言えば、もしかすると排他的になり自分たちの気にいる人以外には冷たいと言った事が起こるかもしれません。

 家族的である事がいい場合も又、逆に良くない場合もありえます。だから理想の教会を追い求めるのではなく、私は、自分の立ち位置を意識して 信仰生活をした方が良いと思います。

 つまり、私は、神様に導かれて今、この教会に集う者とされていると言う自覚です。神様が別の群れへと導かれたらそれはそれであなたに必要な事だと思います。(私が色んな教会に導かれて行った様に。)そしてそこがあなたが考える理想の教会でなくても今、あなたがそこにいる事を神様が求めている間は、そこに留まる必要があるのだと思います。 次回から「教会って何をする所なのか」を具体的に考えていきます。

 

 

 

 

教会って何をしている所? 3

 

 聖書に書かれている事を信じると言ったので 高校生科で迫害を受けた私は、二度と教会には 行かないと決めて上京しました。ただ、駅への 途中にある小さな教会の存在は、気になってい ました。ある日、妹との喧嘩を切っ掛けに急に 教会に行きたくなり、その小さな教会を訪れ、 そこでもらった1枚の集会案内に書かれた教会に行き、そこで自らの罪に気付きクリスチャン になりました。そして、その小さな教会で信仰生活がスタートしましたが、その教会の牧師は、元アル中の靴職人で今で言えば、パワハラ 牧師でした。洗礼を受けるかどうか迷っている私に「イエスキリストのために死ねるなら受け ろ」と脅し、真冬にプールの様な洗礼槽で洗礼を受けたので「風邪をひかないかな」と心配したら「キリスト教2千年の歴史で洗礼式で風邪をひいた人間は一人もいない」と言われ、見事 40度の高熱を出し「神に見捨てられた」と落ち込みました。その後も「風邪で礼拝を休む」 と連絡すると「クリスチャンは風邪をひくなら 月曜日にひけ。土曜日に熱を出すのはたるんでいる証拠だ」と怒鳴られる・・・実に過激なク リスチャン生活でした。

 教会には、若い人が私しかいないのであらゆる奉仕がみな私の肩にかかり、午前中はCS・昼食作り・午後は駅前での集会案内配布、一旦、帰宅し妹たちの夕食を作って夕方からハンドマイクを片手に集会案内をして歩き、 夜の集会に出て夜9時頃、帰宅する。信徒の私が、まるで伝道者並みの生活を強いられました。でも、それしか知らなかった私 は、「これが正統的クリスチャンの生活スタイ ルなのだ」と思っていましたから、 同盟教団の教会員を見て「軟弱者!それでも信仰者か」とバカにしていました。(まさかその団体の教師になるとは、神様の悪ふざけの様に感じます。)

 神学校に入学する直前、牧師に「神学校に入ったら二度と家族には会えないので家に行け」と命ぜられ神戸に行きました。そこで突然、歩行困難に陥り、東京に戻れなくなった私は、家のすぐ近くにある教会に行きました。 そこは、自分が育った教会とは真逆な教会でした。初めて行った日、黒板に「たぬき・きつ ね・おかめ・力・・」と書かれ、どれにするかと聞かれた私は、何の意味なのかさっぱりわからず「どちらかと言えば、たぬきでしょうか」 と答えました。 車が到着し「たぬきソバ」を渡された時、初めてこの教会は、出前を取る教会なのだと知りました。

 その教会の人たちは、それまで見てきたどのクリスチャンよりも自由で自然体でクリ スチャン生活を楽しみながら生きていました。 私は、初めてクリスチャン生活は、実はとても楽しく、愉快な物だと知りました。 「人の評価や他人の目ではなく、神様によっ て示された道を進み、社会的地位を得たとして もそれが目的ではなく、それを使って誰かのために生きる事こそ、意味がある人生」だと皆が 教えてくれました。又、牧師から「自由であると言う事は、責任を伴う事だ」と教えられ、奉仕に対する姿勢を徹底的に訓練をさせられまし た。

 私の信仰姿勢は、この教会でまったく一新 され、生涯、この教会のメンバーとして生きていこうと決断しました。ところが、神様は、3 年後、東京に戻る事を求め、私は、東京の赤羽駅近くの踏切そばに建つ小さな民家(教会)に集う事になりました。関西でも指折りの高級住宅地に建つ教会から下町の雑多な人々が集う混沌とした極狭の教会へと導かれました。そこは 教会員の3分の2が青年たちでした。

 

 

 

教会って何をしている所? 2

 

 中学校のクラスメートの初穂ちゃんは、「私のひいおじいちゃんは、有名な牧師だ」と古ぼけた写真を見せながら自慢しましたが、私は、 牧師が何をする人なのか分かりませんでした。 何故なら初穂ちゃんに誘われて行った学校近く のメノナイトと言う教会には、牧師と言う人は、いなかったからです。中高科の先生が、リーダーかなと思いましたが、〇〇兄弟と呼ばれていたので誰かのお兄さんなのだと思っていました。(余談になりますが、25年後、この〇〇兄弟がその教会の責任者で後に有名な神学者になられた方である事を知りました。何とその方が日立福音に修養会の講師として来られたのです。) 当時の私には、この教会には、私の大好きなマリヤ像もないし十字も切らないので本当の教会なのかなあと思っていました。又、初穂ちゃんが、「わたしたちは、罪深い」と口癖の様に言うのが嫌でした。私は、初穂ちゃんに 「罪がないとは言わない。でも、私はレベル的には罪の少ない方の人間だと思うし、罪、罪と気にしてばかりいたら生きていけない」と言っていました。

 やがて私は中3の秋、旭川に移りました。高校に入ってまもなく帰宅した私に母が「今日、 無料で聖書を教えてくれると言う若い女の人が来たから頼んでおいたから」と言いその若い女性が毎週、我家にやって来て私に聖書の話をし ました。その人は、「人間は神様が造ったので 猿から進化した訳ではありません。学校で進化論の学びをした時は白紙で提出しなさい。クリスマスは12月25日ではないので祝ってはいけません。」と訳の分からない事を言います。 私が今まで聞いてきた話とは少し違う。第一、イエス様の事が何も出てこないと気付き、「イエス様って神様ですか」と聞きました。すると「神の子であって神ではありません。唯一の神はエホバの神だけです。」言われました。私は、もう一 度、「教会」と呼ばれている所に行ってみようと思い町の中央にある大きな教会に行きました。

 すると大きな部屋に通され、大きなテーブルの先におじいさんが座っていました。そして「あなたは自分でここに来たと思っているでしょうが、 実は神様がここへと導かれたのです」と言い、私は「自分で来ようと思ったから来たのに変な事を言う人だ。怖い」と思いました。高校生科に行かせられた私は、そこのリーダーである伝道師の若い先生に突然、「聖書に書かれている事をすべて信じますか」と聞かれ、私は「聖書は神様の言葉 ですからみんな信じています」と答えました。するとその先生は「バカ者。神様がこの世界や人間を造られたと書かれている創世記は神話だ。そんな事を信じているのは、時代遅れのバカ者だ」と言うのです。そしてそれから私は、教会に行くたび、バカな人として高校生たちからもいじめを受けました。とても辛い経験をしながらもその教会に通い続けたのは、大人の人たちが、みな、私に 親切にしてくれるからです。結婚式や葬儀など個人的な集まりにも私を招いて下さり、神様を信じる事の大切さを教えてくれました。でも、高校を卒業し東京に行く時、高校生担当の若い伝道師から東京の教会を紹介してもらいましたが、私は、「もう2度と教会には行かない。足を踏み入れない」と決断していました。

 

 

教会って何をしている所? 1

 

 旧統一教会を巡るニュースから「教会」は、 「献金を集める場所か」と誤解されてしまうのではないかと思います。きっと教会外の人から見れば、「教会とは何をする所なのか」と疑問に思われているのでは、と思い暫くの間、「教会は何をしているのか」を書きたいと思います その前に私が「教会」と呼ばれる所と関係を持った経緯からその話を進めたいと思います。

 私は、寺の娘と檀家総代の息子と言う仏教に深く関係した両親から生まれ、全く、キリスト教の影響がない中で育ちました。その私が初めて 「教会」と言う言葉を聞いたのは幼稚園の時です。私の家の前に立派な洋館が建っていてそこに私より2歳上の富士子ちゃんと言う女の子が住んでいました。私は、よく、その家に遊びに行きましたが、富士子ちゃんから「決して妹の恭子ちゃんを連れて来ないでね」と念を押されました。それで私は妹に気付かれないように富士子ちゃんの家の玄関に入るのですが、富士子ちゃんは「いや、やめて!出て行って」と叫び 声を上げます。何と私の後ろから妹が顔を出すのです。富士子ちゃんが意地悪な子であった事も事実ですが私の妹は何故かその家の金目の物に向かって突進しみんな壊してしまう暴れん坊 でした。

 でも、そこの家の人はみな、「いいのよ。また遊びにいらっしゃい。家に誰もいなく ても庭に入っていちごやくだものを好きなだけもっていきなさい」とやさしく声を掛けてくれます。そしてクリスマスには、富士子ちゃんのおじいちゃんが3色に彩られた鐘やツリーやサンタの絵柄のアイスクリームを大量に抱え、ク リスマスプレゼントだよと届けてくれるのです。 私は、母にどうして富士子ちゃんの家の人はみんなどうしてここまで親切でやさしいのかと尋ねました。

 すると母が「あのおうちの人はクリスチャンなの」と言いました。私は、意味が分からずクリスチャンって何なのと聞くと 「クリスチャンと言うのは教会に行っている人たちなの」と教えてくれました。私が初めて「教会」と言う所に足を踏み入れたのは小1の 時です。友達が「近所に凄く素敵なお姉さんがいるから遊びに行こう」と誘うのでそこに行くとそのお姉さんが「日曜日だけやっている教会の学校がある」と教えてくれました。

 私は、日曜日だけやっているその学校に行ってみたくて母に頼み電車に一人で乗り、大通り公園のテレビ塔の前にある大きな教会に行きました。そして初めて礼拝と言うのに参加しました。大人の人たちが讃美歌と言う本を見ながら歌っていま した。そして聖書と言う本を開き、真剣にお話を聞いていました。私は、本当に神様はいるに違いない。そうでなければ、こんなに大人の人たちが一生懸命、歌ったりお祈りしたりするはずがないと思いました。それからすぐ、父の転勤で私は札幌を離れ、釧路に行きました。

 すると友達が「教会でやっている土曜学校に行かないか」と誘ってくれました。日曜日ではなく土曜日にやる学校とは、何だろうと思い、出掛けました。するとそこは、カトリックの教会でした。毎回、聖書のお話を聞いた後、マリヤ様の像に向かって十字を切りました。私は、十字を切らなければお祈りではないのだと思いまし た。それからまた、引越しをして室蘭に行きま した。誰も教会に誘ってくれないので私は家にあったトラピスト修道院のシスターの人形に十字を切りながら祈りの真似事をしていました。 それからまた引越しをして釧路に行きました。 中学生になった私に初穂ちゃんと言う友人が出 来て彼女は私を学校の近くにある教会に誘ってくれました。

  

【連絡先】

㊪日本同盟基督教団

日立福音キリスト教会
〒317-0051
茨城県日立市

滑川本町4-24-15
主任牧師 郷津 裕

   (ごうづ ひろし)

伝道師  林佑亮

   (はやし ゆうすけ)
☎ 0294 (22) 0249

FAX0294(21)4193

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